2015年7月4日土曜日

戦後70年 沖縄全戦没者追悼式

6月23日に父の戦死した沖縄の追悼式に出席した。
今日まで、3度沖縄を訪ねて父の戦跡を歩いたが、現役の勤務中でなかなか
式には出席ができなかった。
今回は戦後70年の節目なので最初で最後の機会と思い式に出席することにした。

式典出席のためのシャトルバスも運行されて、順調に会場に着くことができた。
車中に同席した出席者は66歳の沖縄出身のかたで、親族を亡くし、広島からきたという。
戦時中の困難な時代には遭遇しなかったが、長い間、戦後の苦難な道を語ってくれた。

前々日にバスの出発場所を確認するために那覇市役所前の交番に立ち寄った。

2015年6月19日金曜日

沖縄全戦没者70周年記念追悼式について

6月21日に沖縄の追悼式にでかけます。

ついで、沖縄県のホームページ
「子ども生活福祉部平和援護・男女参画課「
に下記概要のメールを送りましたが、
1か月以上もなしのつぶてになっていますので
ご協力いただける方がいましたらお知らせください。

1.記念式典の出席場所は全て自由席となり、特別の区分けがあるのでしょうか。
  たとえば、都道府県別とか。

2.1970年代の沖縄復帰の当時、小生が東京都中野区の企業に勤務していました。
  その折、パスポートもった多くの若者が勤務していました。入社や退社、その他寮生活の
  お手伝いをした関係で、いろいろと思い出がありました。かっての若い人々に会いたいが、
  何か良い方法があるでしょうか。教えてください。
  
  当山美智子、古堅ケンイチ・・・、大城・・・、などなどの名が記憶にあります。

3.私の父高橋謹字の戦死場所が沖縄本島波平なる地名で戦死公報が残っています。読谷や
  南部にも同名の地名があり、2度ほど訪れて探したが、戦死場所が確定していません。
  戦死日が6月17日となっていますので南部と思っていますが、何か良い手があるでしょか。
  父は満州東安省東安町から沖縄に昭和19年末に32軍の築城隊として向かっています。

  良い知恵をお貸しください。

2015年4月10日金曜日

普天間などの基地問題解決の一つの対策

4月6日朝刊の「ヘリ空母」に反対の意見を読む。
 私は陸上の軍事基地を廃して国土防衛基地として
空母をなぜ主力としないかを疑問に思っていた。
理由は沖縄県の基地問題解決や他の地域での問題を知るにつれて
陸上基地は基地を固定化、地域住民を直接戦闘や攻撃にさらすからである。
空母の場合は、攻撃を海上で防衛し、直接的な攻撃から地域住民を
守ることができる。また基地を固定化しないために四面を海に囲まれた
日本では防衛を機動的に展開できる。その上で陸上部隊を水際に点在配置すれば
よいのではないだろうか。他国への侵略など考えたくない。  
 次に、戦争と9条についての問題は必ずこのような件では議論される。
だが、世界の歴史と日本の歴史を読めば、すべて平和が外交で解決できたとはいえない。
 ベルギーは二度の大戦とも中立を宣言したが、ドイツ軍に占領されている。デンマークも同じ状況である。日本も旧ソヴェエトと日ソ不可侵条約を締結していたが、
期限の継続前に宣戦布告され、多くの一般民の犠牲を出している。
 私は沖縄戦で父を失い母子生活で何とか生き延びてきた。だからこそ平和の
大切さを骨の髄まで知っている。戦争を望む人は現実にはいないと思う。
議論は平和の守り方、日本防衛の方法である。
 9条は日本の平和に寄与した部分もあるが、平和を170年以上守り続けているスウェーデンに見るように、地理的位置、国際情勢、そして軍事力が大きな影響を与えていると思う。
無残に占領された国の歴史を多く読むと「平和=孤立型非武装」ではありえない。9条は改正して、日本防衛と軍事力の保持、そして他国への侵略を禁止するように明記すべきだろう。
 
この記事は4月7日に朝日新聞「声」に投稿し、未だ未掲載のものです。
ただし、句読点を1か所追記

2014年6月22日日曜日

世界遺産登録の裏で

片倉工業は売らぬ、貸さぬ、壊さぬで富岡製糸工場を守り、
世界遺産登録を果たした
しかし、この裏には片倉工業の努力だけではなく、企業運営の幸運もあったように思われる
1960年代以降は絹産業は衰退


私の育った岩手県南の養蚕産業は消滅した
数年前に訪れた絹糸工場は今は荒れた草と地
かっての近郊農家の経済を支えた真珠絹の面影は消えうせていた
土地所有者の「片倉工業」のプレートだけが心に残った


しかし、片倉工業はこの衰退期にガラス繊維を中心に新たな新機軸を展開した
絹産業に代わる船は経済の浮沈に耐えたしのんだ
この新たな企業基盤が富岡工場の維持・保存を実現させたのだ


中学生の頃、この絹工場で働いた亡き母の姿が今回の報道で思い起こされた

2014年5月20日火曜日

火事場泥棒の結果も歴史の偉業か

ロシアのプーチン大統領は
中国メデアに「第二次世界大戦の結果を
見直すことは認めない」と述べたとのこと

1941年4月13日日ソ中立条約締結

1945年2月4日ヤルタ会談
1945年5月7日ドイツ降伏
1945年7月15日ポツダム会談
       26日対日ポツダム宣言発表
       28日日本政府ポツダム宣言を黙認
     8月6日広島原爆投下

8月8日ソ連は日ソ中立条約を破棄し、
     対日宣戦布告。中国東北部・朝鮮に侵攻

8月9日長崎原爆投下
8月14日ソ連、中華民国と友好同盟条約
     日本ポツダム宣言受諾
8月15日日本降伏
8月25日ソ連、サハリン占領
9月5日ソ連、歯舞群島占領
 

    
ソ連が対ドイツ戦で多くの犠牲を払ったことは事実
上記の内容も歴史的事実

はて、プーチンさん
盗人も言い訳はあるというのはこのことだろうね

悔しいが、日本民族は現在もノーテンキ
誰もおちぶれる民族を救ってはくれないのが歴史の非情
中ソは戦勝記念をどうぞ盛大におやりください


2014年5月1日木曜日

安重根は英雄か

  
  中国・黒竜江省ハルビンに安重根の記念館を開館したとのこと。
確かに朝鮮民族にとっては日本の初代総理大臣伊藤博文は
戦前日本の象徴かもしれない。
戦前の日本は朝鮮半島を植民地化して、中国と対峙・侵略してきた。
朝鮮民族主義者にとっては、あるいは中国民族主義者にとっては
伊藤博文を暗殺した安重根はその意味では英雄かもしれない。
  他方、日本人や世界の一般の人々にとっては、この行為は明らかにテロ行為である。
ましてや、現在の日本は他国の民族や領土を侵略する意図もパワーも全くない。
高度経済で築いたものも霞んで、いかに国内の生活を維持するかに
四苦八苦しているのが現状である。
戦後日本は平和主義にてっしてきた。そして今もなおである。
それでも、中国や韓国にとっては日本は永遠の敵国なのだろうか。

  もし、中国や韓国の政府要人がチベットやウイグル民族主義者に、
あるいは北朝鮮民族主義者によって暗殺された場合は、安重根の行為をどのように判断をするのだろうか。

  第一次世界大戦の歴史を振り返ってみよう。
オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がサラエボ訪問中に
19歳の民族主義者ガウリロ・プリンツィプによって暗殺された。
これが契機に世界大戦となった。この戦争でおよそ1600万の人々の命が失われた。。

 中国・韓国は歴史上のテロ行為をどのように見ているのだろうか。
安重根記念館は両国の歴史認識の多くをものがったいるように思える。。

2014年3月7日金曜日

解釈改憲に反対

憲法9条の改正には賛成


しかし、時の権力で恣意的に解釈改憲するのは止めるべきだ
確かに、現在の憲法成立過程に問題もあった。
周辺事情も変わってきたし、歴史の変遷もある。
だからといって憲法を時の内閣だけで解釈改憲するのは暴挙といえる。


ある共産党親派の知人が憲法9条を変える反対集会に出席を求めてきたことがあった。
しかし、私は現在の憲法が現状の自衛力をしっかりと肯定しているとは読み取れないし、
これ以上の拡大解釈も想定される。
だから、しっかりと自衛権とは何か、
その自衛のために集団的な自衛権はどうあるべきか。
そして国際紛争にどう対処すべきか。
自衛隊の災害活動やテロ対策をどうするかをしっかりと見据えた立憲主義の明示が必要だ。
だから、私は憲法9条反対集会には出席しないし、手続きを踏んで9条は改正すべきだとと断った。


もちろん、国会議員の三分の二以上の賛成で改憲すべきことは当然である。また、国民投票の過半数は全国の投票率が6割以上は必要に思われる。
社民、共産の憲法9条反対には私は与しない。
その知人は今は憲法9条反対だが、政権が変わったとき(共産党政権を意味するのかどうかは確認しなかったが・・・)には新たな憲法を制定すればよいといっていた。これもまた違和感を感じる。
だからこそ、心配なのだ
時の権力や流れやムードの中で簡単に変えられることが・・・


いま、ロシア革命とレーニン、フィンランドを調べている。
歴史は時の国際情勢によって大きく変わることを知った。
もう一度知恵を絞り、国民の審判の下で改憲をすべと思う。
原則的に社民共産党以外の政党は憲法改正に賛成なのであるから合意形成はできるのではないだろうか。

この文章を書いてしばらくになるが、現在安全保障と集団的自衛権で再び憲法論議が出ている。
今まで下書きで保存したのをあえてUPします。

現在の安全保障と9条解釈は無理があるので、周辺事態の対応を与野党合意の上で成立させて
残りの集団的自衛権は憲法改正を含めてうえで、与野党の合意形成を目指すべきだろう。