2018年3月29日木曜日

民主主義への懐疑

 2018年3月27日に森友学園問題で佐川宜寿氏の証人喚問に
民主主義の懐疑と限界を感じた。
この問題を解明するにはほぼ絶望的と考える。
すなわち、文書の改竄に関しえてはある程度の解明が
できるだろうが、その行為が忖度である場合は、
心の問題となり証明や証拠を出すのはむずかしい。
首相官邸が直接指示した証拠や文章がでれば明らかであるが、
たぶん、無理だろう。
第一、官邸の指示など考えらえない。(具体的に有形で)
(首相周辺の忖度による関係性はあったろうが、証明は難しい)

結局、佐川氏の改竄の範囲で終わりになり、問題はやぶの中。
長い年月で、証言が出ても物的証拠が証明されるのか。
いいらいらと諦めムードである。

証人喚問でべらべらTVの前で話すのも考えられない。
今回のような形が一般的だろう。(たぶん私でもTVの前で語ることはない)

しかし、忖度はどこまでが法的に違法かは難しいし、
改竄は違法で解決されても、内閣の支持率はなお高い。

ここに、民主主義とは何かが疑われる。
世論操作もあるかもしれないが、人々は今日の飯の問題である。
民主主義と力を込める自分がばかばかしい。

 ある程度の生活である程度の日常性が保持できた自分が、
こんなに反応の良くない人々のために民主主義を声高に主張する自分が
馬鹿らしくなってきた。
改竄などとは民主主義の根幹にかかわる問題だと思うが、
決してて多くの人々は違うようである。
北朝鮮問題、トランプ問題、そして失業率、就職率、景気動向。
これらを最優先の人々も多いように思われる。

民主主義とはいったい何ですか。
このような形でおわりですか。
もう、議論したくないです。
このように時間を費やすのもバカバカしい思いです。
後、数年の命の人間にとって
虚しさいが以外のなにものでもなくなりました。

しばらく、筆を止めましたが、あえて書いた。
これも無駄なひとりごとかな。