2022年2月27日日曜日

1917年ソヴィエト革命

 プーチンは1917年の革命を思い出して欲しい。

革命は戦争に対する厭世ムードだった。

ウクライナで領土変更の戦争を起こして、

国内の世論を無視するとプーチン政権の崩壊を招くだろう。

武力による民族弾圧では民衆は従わない。

世界は経済力と精神力でプーチンの過ちを挫こうではないか。

コサックは歴史的にも自由な民である。

屈するな。


2022年2月26日土曜日

フィンランドの冬戦争を想像

 1939年11月ソヴィエトはフィンランドに侵攻。

フィンランド軍、国民は団結し、犠牲を出しながらも

抵抗し、ソヴィエトを敗退させた。

その時の欧米の動きは今回の動きに似ている。関わりに尻込み。

同じように第二次世界大戦のヒトラーのノルウェー侵攻も

国民の抵抗に会い、失敗する。兄弟国スウェーデンは中立を

名目に直接の支援なし。

今回も、世界の情勢と支援は軍事的支援には向かわない、が、

多くの国々がプーチンに背を向け、武器なしでも勝てることを

見せつけるだろう。



冬戦争の英雄 マンネンヘルム

2022年2月24日木曜日

ロシアの南下政策か


ロシアがロシア系ウクライナ人 の援助を名目に

ウクライナへ侵攻とのニュースに「歴史は繰り返す」を

思い浮かべる。

黒海への進出、地中海への出口、そして日本海への不凍港を

求めて朝鮮半島の南下を企てた歴史。

同じように・・・系人の保護で侵略を犯した国がいかに多く

あったかを歴史は語る。行き過ぎの誤算から大きな紛争や戦争、大戦に

発展した歴史もある。

武器よさらば。

牧野雅彦著「不戦条約」(東京大学出版会)を購入して読み始める。

偶然の一致に驚くか。



デンマークスウェーデンのルンドの戦 1万人以上の戦死者

2022年2月23日水曜日

 ストリンドベリィとスウェーデン社会民主主義を考えている。

なぜ北欧は社会民主主義が根付いたのか。

なせドイツ、フランスは政権をとれたのか。

調べてみると日本社民・立憲が三分の一、四分の一政党を脱することが

できるのか。疑問がわいてくる。

日本の社民党の衰退はあまりにも憲法9条に拘りすぎて、現実の世界に

ついていくことができなかったからと思える。


スウェーデン社民は苦悩しながら現実を切り抜けている。

立憲民主党はどうなのか。立ち位置がわからない。


最初の党首ヤルマール・ブランティングは当時の自由党の支持で

社民最初の国会議員になった。マルクス主義者とは一線を画した。


だが、与党の予算案に賛成する党とまで譲歩するまで認めるのだろうか。

連合会長の姿勢もさらに野党を混乱させている。

ストリンドベリィはあくまで労働者、貧しい人々の側にたった。

いろいろな20世紀の思想の持ち主であり、批判はされるが、この点は

揺るがなかったようだ。

さてさて、日本に社会民主主義は根付くのか・・・????。


2021年5月15日土曜日

 ご無沙汰しました。

人生、負けたかな。

世の中、相変わらず、変わろうとしないし、変えようと主張するひとは

ひとにぎりにすぎないようだ。

私の責任でないことは確かである。

一人ひとりの国民、あるいは大部分が保守化している。

現状維持でよいと思っているようだ。

政治家のせいならば、選挙で落とせばいいはずだ。

もうやめた。

貧富の差、温暖化、政治の不正と隠蔽・・・などなど

世の中が少しでも変わればと長い間期待していたが。

もう時間切れ。勝手にしてくれ。

あとは、それぞれが現状維持でやってください。


2018年9月20日木曜日

厳戒なシルクロード入口

9月4日から9日まで

ウルムチ、トルファン、敦煌、そして西安を旅する。

シルクロードの出発点らしく多くの文化の混合と融合、特徴を

見てきた。

しかし、旅の途中では常にパスポート提示とセキュリティ

チェックで少々、不愉快な旅となった。

多くの民族や反政府活動グループによるテロや思わぬ事故防止とは

理解したが、多くの思い出が色あせてしまった。

ただ、少数民族に対する政治的な配慮は印象に残った。

一帯一路政策が少数民族や周辺諸国の発展に寄与するように、

多くの人々が、そして旅人が満足できる政策になることを期待したい。



2018年9月3日月曜日

元国連事務総長アナン氏の逝去を悼む

  元国連事務総長アナン氏の逝去を悼む朝日新聞「声」投稿(2018・0822)不採用原稿より

アナン元国連事務総長の死を悼む 

8月19日の朝刊でアナン氏の逝去を知り、2010年4月28日、ツアーでストックホルム
滞在中、アナン氏に出会ったことを 思い出しました。  その時は、ノーベル賞メダルの
チョコレートを購入するためにスウェーデン・アカデミー(現ノーベル博物館)に入館し、
 報道写真で 見慣れたアナン氏に出会いました。  
    彼はわれわれの仲間を目にすると、即座に「ジャパニーズ」と声をかけてくれました。
そのときの驚きとその興奮は忘れられません。
1990年代にウプサラ大学の夏季語学研修に訪れた時、
 最初に見たビデオがラウル・ウォーレンベリィ(彼の奥さんは大姪でした。
ビデオはアナン氏の人道主義にも相通じるものでした。
以来アナン氏の国連での平和を求めた活躍に関心を寄せてきました。
大国のエゴや紛争当時国同士の齟齬に阻まれて、悩む日々も多かったと思われます。
PKO問題では創始者ハマーショルドの意を汲みながら進化させ、
ノーベル平和賞の受賞に至りました。
館内でのチョコレート購入も忘れて、握手の手を伸べると「サンキュー」と 返してくれました。
この手が「世界の平和に尽くされた手だ」と、その温もりを感じました。氏にご冥福と感謝を述べたいです。 一部修正